30歳で料理研究家へ!「好き」をキャリアに -インタビュー#01りんひろこ-

30歳で料理研究家へ!「好き」をキャリアに -インタビュー#01りんひろこ-

私らしく生きる インタビュー#01

30歳を間近にして、仕事や結婚などの人生の選択肢に迫られ、自分らしい生き方とは何かに悩む女性が多くなります。今を輝く先輩たちは、いつ、どんな選択をして、何を指針に生きているのか。

女性の仕事観や結婚観をさぐる本連載。第一回目は料理研究家のりんひろこさんにインタビューをしました。

5万部を超える「ジャーサラダ」レシピ本や数々のテレビ番組、雑誌で活躍する彼女ですが、料理家への道は紆余曲折。30歳を目前に飛び込んだ料理の世界で手にしたものとは?

 

料理研究家にどうすればなれるの?

幼い頃から、NHKの子ども向け料理番組「ひとりでできるもん!」や料理のコツがわかる童話シリーズ「こまったさん」が大好きでした。

一方で母の料理はレパートリーが多いわけではなく、茶色い煮物料理ばかりが食卓に並ぶような家庭で育ったので、色々な料理を食べてみたくて…。小学生になると図書館で借りてきた料理本を見ながら作っては、家族に振舞っていましたね。

”料理研究家”になりたい、と思うようになったのは中学生の頃。将来について家庭科の先生に相談したのですが、栄養学科のある大学に行けばいいんじゃないの?と曖昧な答えでした。

どうやったらなれるのかわからないまま四年制大学に進学して、その当時に興味があった認知心理学を学んでいました。

進路に悩みながらも社会人へ

大学3年生になって就職活動が本格化する中、自分がスーツを着て働くイメージが全く湧かずに悩みました。

ある先輩から「休学をしてでも海外には行っておいた方がいい」とアドバイスされ、思い切って1年3ヶ月ほど休学。アフリカのガーナでボランティア活動をしたり、語学留学で台湾に行ったりして悔いが残らないように過ごしました。

兄の影響もあり、研究職だったら性格的に続けられそうだと判断し、国家資格の”言語聴覚士”をとることを決意。大学卒業後に専門学校でさらに2年間学び、専門職として病院勤務をはじめました。

病院での仕事はやりがいがありましたが、料理研究家になる夢がずっと頭の片隅にありました。20代後半に差し掛かかるにつれて、その想いがどんどん増してどうしても諦められなくなって。

30歳目前で「このままずっと病院勤めで終わりたくない!」と、強く思うようになりました。

きっかけは、映画「かもめ食堂」

そんなある日、映画館でリバイバル上映されていた「かもめ食堂」を見て衝撃が走りました。

映画に出てくる美味しそうな料理や夢を諦めない主人公の生き方にとても感動して、料理の道に進みたいと本気で思ったんです。

同じ監督が作った「めがね」という映画は、与論島に流れ着いた女性の話。人生に迷う主人公の気持ちと自分が重なり、響くものがありました。

南国らしい壮大な自然と皆で食べる美味しそうな料理。その演出が印象的で、夢中で関連雑誌を読み漁っていたときに「フードコーディネーター」という仕事の存在を知ったんです。

ずっと憧れていた”料理研究家”は、料理のレシピ開発などを行うことが主な仕事。なかなかなれない狭き門という印象でした。

一方で”フードコーディネーター”は、映画やテレビ、雑誌やパンフレットなどで、あらゆる食のシーンを演出することに携わる仕事です。料理研究家になる方法はよくわからないけれど、フードコーディネーターにならば、もしかしたらなれる道があるのかもしれない、と思いました。

27歳、フードコーディネーターを目指して

フードコーディネーターの養成学校があることを知り、「今、動かなければ料理の道へ踏み出す勇気がなくなってしまう」と27歳にして専門学校へ入学。平日は病院勤め、土日は学校に通い、フードコーディネートの基礎を半年間学びました。

講義では著名なフードコーディネーターや食品業界の方が教えに来ていたので、コネクションを作りたいと積極的にアピール。

「アシスタントが必要だったらいつでも呼んでください!」と声をかける日々でしたが、ある日、料理番組でフードコーディネーターが足りていないから手伝ってほしい、という声がかかります。もちろん、経験を積む絶好のチャンスだと思って二つ返事で引き受けました。

アシスタントのスタートはお皿洗い

いざ、アシスタントの仕事を始めてみると、病院勤務との両立は厳しいものでした。

当時はすでに結婚をしていたので、家族の都合などもあって思い切って言語聴覚士の仕事を辞めることに。夫と二馬力で働いていたので、経済的な心配をしなくてもいいというのが有難かったです。

テレビの生放送の仕事は週3〜4日ペース。アシスタントの仕事は、お皿洗いからスタートし、速くできるようになればカメラリハの下準備を手伝わせてもらえます。でも最初は現場のスピード感についていけず、本当にハードな毎日でした。

生放送の場合はリハーサルを2回やることもあって、ミスが許されない現場ゆえに時間との勝負です。どのタイミングで料理を入れ替えるかなどを、常にイメージしながら食材を準備しておかないといけません。

この料理番組のアシスタント時代に、今につながる多くの調理技術を学びました。出演されているプロの料理家の技を間近で見ることができたのも貴重な経験です。

この時期、声をかけてもらったお仕事はできるだけ受けるようにしていました。

空いている日には、他にCM撮影のアシスタントや、パンフレットに載せる料理のアシスタントなどにも呼んでもらって経験もつめましたし、人脈を築く上でもとても大切な時期でした。

具体的に行動してつかんだ夢。そして出版へ

その後もフードコーディネーターのアシスタントを続ける中で、料理のスキルも向上して個人でお仕事をもらえるようになっていきました。

そして、映画の仕事にフードコーディネーターとして携わらせていただいたことが独立の大きな転機に。

映画館で上映された作品をみて、エンドロールに自分の名前を発見したときはとても感慨深く、やり切った感がありました。

29歳頃からは自宅でお料理教室も始めて、もう10年以上が経ちます。

料理研究家として独立し、“和洋中の家庭料理を簡単に美味しく作るコツを伝授する”をコンセプトに、自宅でお子さん連れの生徒さんに教えています。

ある日、同じ趣味をもつ友人たちとプライベートで飲んでいたときに、メンバーに出版関係者が何人かいたので、当時ニューヨークで流行っていた”ジャーサラダ”の話をしました。

ジャーサラダは、透明なボトルに彩りよく野菜を層状に詰めたメニュー。見た目がかわいいから本にしたら売れそうだよと伝えたら、「りんちゃんが本にして出してみなよ」と背中を押してくれました。

当時ジャーサラダはまだ日本未上陸で、見栄えも良く話題性があったのか、出版後テレビの出演依頼が殺到しました。お陰で初の出版本は、まさかの5万部を超えるヒットに。

どこにどんなご縁があるかはわからないので、とにかく自分から具体的に動いて人脈を築いていくことが財産になると思っています。

家族の支えなしで夢はつかめなかった

主人は私のやりたいことをいつでも自由にやらせてくれる懐の広い人です。

私が言語聴覚士の専門学校に通っていた24歳のときに結婚したのですが、30歳目前で料理の道に進むと決めたときも、反対ひとつせずに応援してくれました。もし独身だったとしたら、経済的なことを考えて料理の道には進んでいなかったかもしれません。

家族に支えられた部分はとても大きいです。夫婦はお互いの凸凹を埋め合える関係だと思うので、進路に悩んだ時期に家族の支えがあって本当によかったと思っています。

結婚は早かったものの、ずっと仕事優先で生活していました。

子どもを産んだのは結婚から10年以上経った34歳のとき。実際に子育てを経験して、育児をしながら料理を作る大変さを思い知りました。

今ではレシピ作りをするときの優先順位を大きく変えて、作り手のママのこと第一にしつつ、時短と見栄えを両立させられるように工夫しています。子供を授かって、作る人のことまで踏み込んだレシピの提案ができるようになったのは、私の中でも大きな成長です。

レシピのヒントは旅先の国から

バスク地方のバルで食べたピンチョス

もともと学生の頃からバックパッカーをやっていたので夫婦共に旅が大好き。二人目の出産のタイミングで、2ヶ月に渡りアメリカとヨーロッパを旅しました。主人も長期の育休をとり、生後半年の長男と3歳の長女を連れて、家族4人、初めての海外旅行です。

色々な国の料理をたくさん食べた経験は、帰国してからオリジナルレシピのアレンジに取入れて、新しいメニューを考案するのに役立ちました。ジャーサラダのレシピにも、旅行中に食べた料理をヒントにしたものがいくつもあります。

人の縁が仕事を繋ぎ、成長させてくれる

普段は利便性を考えて都内のマンションで暮らしているのですが、もっと自然豊かな場所で子どもたちを自由に遊ばせてあげたくて、週末は三浦の家で過ごすという二拠点生活を送っています。

都心を離れて自然豊かな三浦の街でのんびり過ごしていると、張り詰めていた気持ちがふっと緩んで、料理のレシピも自然と浮かぶので不思議です。子どもたちと家から徒歩1分の磯浜で蟹やヤドカリを採ったりして遊ぶことも。

三浦にいると食に困ることがありません。海岸沿いでは毎日朝市が開かれるので、新鮮な魚介をいつでも手に入れることできるし、お隣に住む漁師さんたちからは、蟹や海老、珍しい魚などをよくいただくので、東京にいるときよりも贅沢な食事をしているかもしれません(笑)。

街中の食堂で食べるマグロ丼や海鮮丼は絶品

都会では接することがない漁師さんや、地元の商店街の方々とのつながりが、いま私の生活に潤いを与えてくれています。

去年は年末の2〜3日限定で、三浦の食材を使った料理を提供する「みなとキッチン」というレストランを開きました。とても好評で今年もやることになり、準備を始めているところです。

最近は地域の方のご縁で、町興しに関わる食品関連のお仕事などもいただけるようになりました。仕事の幅が広がるのはとても嬉しいことです。これからも人とのご縁を大事にしたいと思っています。

 

料理研究家 りんひろこ

京都で学んだ懐石料理や、アーユルヴェーダや薬膳などの東洋の食養生の考えをもとにした美味しく簡単にできる料理を、TVや雑誌などで提案。「みなとキッチン」料理教室を2010年より主催。著者は「作りおきで毎日おいしい!NYスタイルのジャーサラダレシピ」と「お鍋で蒸して、瓶ごと保存ジャースチームレシピ」。

 

 

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